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posted by u_shino at 08:09| メニュー | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

牛、牛を使う

牛乳石鹸のCMが何やら物議を醸しているそうで。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/15/milk-sekken-arainagaso_n_17762350.html

最近、こういう広告がらみの問題が多いですね。
色んな人が声をあげやすくなったということで、大変結構なことではある。
CMの問題点は、既に言い尽くされた感があるので、僕がここで改めて何か言う必要もないと思う。


と言いつつ、いくつか気がかりなことがあったので、やっぱり少し話しておこう。

CMの中で、新井浩文演じる主人公は、一個の内的な葛藤を抱えた人間として描かれる。
時代の要請で「マイホームパパ」たることを受容しつつも、心に染みついた「頑固親父」の在り方も否定しきれない。
相反する2つの父親像の間で揺れている。
そんな時代の狭間にある父親達への、応援の気持ちを表現したかったのだ……
上記の牛乳石鹸側の言い分をふまえると、そういう風に解釈できなくもない。

しかし、主人公の中にある対立項は、本当に「マイホームパパ」と「頑固親父」なのだろうか?

物語の中では、「マイホームパパ」「頑固親父」がそれぞれ、現在・過去の自分と対応して描かれている。
現在においては、ゴミ出しや誕生日ケーキの買い出しを頼まれる、マイホームパパとしての自分の在り方への不満。
過去においては、家庭を顧みず、自分に構ってくれなかった、頑固親父としての父親への不満。
ここに「マイホームパパ」「頑固親父」とは別の対立項を見出すことができるのではないか。
つまり「外から押しつけられる父親像」と「不満を覚えながらも黙って従う自分」という構図が、彼の葛藤の原因としてあるのではないだろうか。

その証左となるのが、「子どもの誕生日に、後輩と酒を飲んで帰る」という、今回物議を醸した問題行動である。
話の流れとしては、次のようになる。

・子どもの誕生日ケーキの買い出しを頼まれ、マイホームパパとしての在り方に疑問を覚える
・報告を怠った後輩が、高圧的な上司に叱られている
・後輩を飲みに誘って慰める。飲みの最中、妻から電話が来るが無視する
・帰宅後、妻に叱られる
・風呂に入る(父と風呂に入った回想シーンが入る)←ここで牛乳石鹸が登場する
・風呂から上がり、妻に謝って、そこから子どもの誕生パーティーが始まる

ここにあらわれた構図は、実は見かけよりもずっと面白いものだと思う。

主人公が、マイホームパパとしての在り方に疑問を覚えた結果、そこから外れてみようして、後輩を飲みに誘ったとする。
彼の自意識としては、これは頑固親父的な行動ということになる。
子どもの誕生パーティーを無視して、仕事場のことを優先するわけだから、実際そうなのだが、別の見方をすることもできる。

主人公が、「高圧的な上司/後輩」を、「頑固親父/自分」に重ねているとしたら、むしろこの行動は反・頑固親父的である。
さらに彼は、報告を怠ったせいで上司に叱られた後輩を慰める一方、自分も連絡を怠ったせいで妻に叱られる。
後輩=過去の自分が、過ちのせいで上司=頑固親父に叱られたのだから、現在の自分も過ちのせいで妻に叱られなければならない道理である。
ならば妻は頑固親父ということになるのか?

ここで最初に示した対立項を思い出していただきたい。
妻と頑固親父をつなぐ共通点は、「外から押しつけられる父親像」と「不満を覚えながらも黙って従う自分」の前者である。
とすれば、彼の問題行動は「不満を覚えながらも黙って従う自分」の揺らぎを意味するのではないか。

ただ残念なことに、彼は風呂に入って全てをリセットしてしまう。
頑固親父にも優しいところはあった、という回想シーンを通じて、「外から押しつけられる父親像」は肯定される。
その結果、「不満を覚えながらも黙って従う自分」も肯定され、彼は風呂上がりにマイホームパパに戻るのだ。
つまり問題は何も解決されないまま、物語は終わりを迎えたことになる。

自我の叫びをリセットして、ただ与えられた価値に従う生には、死と等しい絶望しか存在しない。
CMのタイトルは「与えるもの」だそうだが、正しくは「与えられたもの」とすべきだろう。


牛乳石鹸のCMに寄せられた批判の多くは、家族を思いやることができない甘ったれた主人公の自意識を問題にしている。
勿論それはそれで的を射ているのだが、このCMは意図せずして、より深刻な問題を描き出してしまったようにも見える。
主人公のような、倫理を主体として選ぶことができない在り方は、実はこの社会全体に当てはまるのではないか?
ただ正しいと言われたことを正しいと信じるか、正しさに対して単に反発するに留まるといった精神性。
押しつけ憲法論から表現規制反対論まで、我々は延々と倫理の醸成に失敗し続けてきた。
このCMの主人公を、いったい誰が笑えるだろうか。
posted by u_shino at 03:16| 日記 | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

夏コミ終わった

来てくれた方、ありがとうございました!
オリジナルの百合小説の在庫(2部)が完売したので、夏コミは大勝利したといえよう。


けものフレンズのMADを探してたら、「しなのフレンズ」なる動画が複数出てきた。
今日もドッタンバッタン大勝利!
動画自体は2ちゃんノリで、あんまり面白いのがなかったけど。残念。

そして、けものフレンズ×スカイリムがあった。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm30695110

そびえとちほー版。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm31648477
posted by u_shino at 00:20| 日記 | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

夏コミのお知らせ 「Fall Out Girl」最終巻



エフライムの栄光は、鳥のようにとび去る。すなわち産むことも、はらむことも、みごもることもなくなる。
たとい彼らが子を育てても、わたしはその子を奪って、残る者のないようにする。わたしが彼らを離れるとき、彼らはわざわいだ。
わたしが見たように、エフライムの子らはえじきに定められた。エフライムはその子らを、人を殺す者に渡さなければならない。
主よ、彼らに与えてください。あなたは何を与えられますか。流産の胎と、かわいた乳ぶさを彼らに与えてください。
(ホセア書 9:11〜14)

その子はたとえ人さまの慈悲によって尋常の成長をとげえても、与えられた不運なその性格は、血みどろな闘いによってすらもほとんど改められないかもしれませぬ。
身も心も貧しいがゆえに、彼はたえず空しく憧れ、空しく渇望し、しかもみずからをしか愛し得ぬ二重性のゆえに、つねに豊饒を取り逃さねばならないでありましょう。
(高橋和巳「捨子物語」)

而も、其国土を、父の国と喚ばなかつたには、訣があると思ふ。第一の想像は、母権時代の俤を見せて居るものと見る。即、母の家に別れて来た若者たちの、此島国を北へ/\移つて行くに連れて、愈強くなつて来た懐郷心とするのである。併し今では、第二の想像の方を、力強く考へて居る。其は、異族結婚(えきぞがみい)によく見る悲劇風な結末が、若い心に強く印象した為に、其母の帰つた異族の村を思ひやる心から出たもの、と見るのである。かう言つた離縁を目に見た多くの人々の経験の積み重ねは、どうしても行かれぬ国に、値ひ難い母の名を冠らせるのは、当然である。
(折口信夫「妣が国へ・常世へ」)

お百度参りや水垢離するより、温かいお夜食作ってくれるお母さんがいいなぁ。
(今野緒雪「マリア様がみてる いとしき歳月(前編)」)

社会など存在しない。個人としての男女とその家族があるだけだ。
(マーガレット・サッチャー)




2017年夏、8年の長きにわたって続いたFallOutGirlシリーズが、ついに一つの結末を迎えることになった。
「マリア様がみてる」×「Fallout3」異色のクロスオーバー、FallOutGirlという名のヒンデンブルグ号は、一体どこに着地するのか?
物好きな人は、是非お手にとって確かめてみてください。

シリーズ最終巻「Fall Out Girl Expantion 5 : Motherland」、乞うご期待!


コミックマーケット
2017/08/11(金)10:00〜16:00
サークル名:ペインキラー
スペース:東ヌ58b

posted by u_shino at 00:00| 日記 | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

プロ棋士って呼び方

どうしてもサーバーを連想してしまう。
プロ棋士が刺される事件とかがあったら、犯人が匿名性に隠れて逃げ延びてしまうのではないだろうか。


最近、テレビでやたら痴漢冤罪の特集を見かけるようになった。
痴漢が常態化して等閑視される一方で、痴漢冤罪への恐ればかりが或る種の恐慌のように広がっていく様には、どこか歪みを感じる。

そういえばこの間、「好きか嫌いか言う時間」なるテレビ番組で、痴漢冤罪特集を見た。
現在の痴漢対策について、「改善が必要」派と「現状維持」派に分かれてグループ討論を行うという主旨で、
前者には痴漢冤罪の被害者と弁護士、後者には警察の偉いさんとフェミニストとアイドルが割り当てられていた。
こんな滅茶苦茶な構成があるだろうか。
「改善が必要」「現状維持」という分け方もアレだし、そこに割り当てられた面子もおかしい。
それとも痴漢冤罪に怯える人々には、これが世界観としてピッタリくるんだろうか?

と思ったのだが、昨今の表現規制問題においても、同じような論法が散見されるので、意外にメジャーなものの見方なのかも知れない。
「いわれのない迫害を受ける我々+同情的な権威」vs「国家権力(省略可)+やかましい人権派+理解のない愚民」みたいなの。
実際には、表現の自由を侵す人権侵害と、表現の自由に名を借りた人権侵害、そしてそれと戦う人々がいるだけなのだが。

そもそも冤罪事件における最大の脅威は、推定有罪の司法の体質であり、有罪と名指された人間に対する社会からの偏見である。
また、痴漢と痴漢冤罪の扱いの差には、男女の権力勾配がハッキリとみてとれる。
現在の痴漢冤罪パニックにおいては、こうした階級的観点が完全に抜け落ちている。

当たり前の話だが、痴漢に限らず冤罪事件のリスクは、決してゼロにはできない。
誰かに罪を着せられたり、反対に罪を着せてしまったりといったことは、明日にでも我が身に起こり得ることである。
もし冤罪ゼロを目指すなら、方法は一つしかない。犯罪を一切取り締まらないことだ。しかし、こんな馬鹿げた解決策もあるまい。
であるならば、目指すべきは冤罪ゼロではなく、推定無罪を徹底すること、冤罪に対する救済措置を充実させることではないか。
(この観点から死刑は当然ながら否定されるべきである。冤罪だった場合、死んでしまっては救済のしようがなくなるからだ)

冤罪事件に対する社会的関心が高まること、それ自体は大いに結構なことだ。
痴漢冤罪から過去の冤罪事件全般に関心が広がっていけば、さらに結構だ。
しかし、決してそうはならないだろう。
痴漢冤罪パニックは、冤罪を生み出す構造への抗議であるより、むしろ加担であるからだ。
通勤電車に揺られて未だ見ぬ牢屋の夢を見る人々の降りる場所は、何も線路の上でなくてもよかったはずだ。
人死にを出してもまだ目が覚めないのだろうか。


うおおめっちゃ懐かしい!
http://bio100.jp/play_game/superdepth.html

回答者のテンションが高すぎて笑う
https://twitter.com/tanukipaisen/status/846333664275288064
posted by u_shino at 01:30| 日記 | 更新情報をチェックする