2017年07月04日

プロ棋士って呼び方

どうしてもサーバーを連想してしまう。
プロ棋士が刺される事件とかがあったら、犯人が匿名性に隠れて逃げ延びてしまうのではないだろうか。


最近、テレビでやたら痴漢冤罪の特集を見かけるようになった。
痴漢が常態化して等閑視される一方で、痴漢冤罪への恐ればかりが或る種の恐慌のように広がっていく様には、どこか歪みを感じる。

そういえばこの間、「好きか嫌いか言う時間」なるテレビ番組で、痴漢冤罪特集を見た。
現在の痴漢対策について、「改善が必要」派と「現状維持」派に分かれてグループ討論を行うという主旨で、
前者には痴漢冤罪の被害者と弁護士、後者には警察の偉いさんとフェミニストとアイドルが割り当てられていた。
こんな滅茶苦茶な構成があるだろうか。
「改善が必要」「現状維持」という分け方もアレだし、そこに割り当てられた面子もおかしい。
それとも痴漢冤罪に怯える人々には、これが世界観としてピッタリくるんだろうか?

と思ったのだが、昨今の表現規制問題においても、同じような論法が散見されるので、意外にメジャーなものの見方なのかも知れない。
「いわれのない迫害を受ける我々+同情的な権威」vs「国家権力(省略可)+やかましい人権派+理解のない愚民」みたいなの。
実際には、表現の自由を侵す人権侵害と、表現の自由に名を借りた人権侵害、そしてそれと戦う人々がいるだけなのだが。

そもそも冤罪事件における最大の脅威は、推定有罪の司法の体質であり、有罪と名指された人間に対する社会からの偏見である。
また、痴漢と痴漢冤罪の扱いの差には、男女の権力勾配がハッキリとみてとれる。
現在の痴漢冤罪パニックにおいては、こうした階級的観点が完全に抜け落ちている。

当たり前の話だが、痴漢に限らず冤罪事件のリスクは、決してゼロにはできない。
誰かに罪を着せられたり、反対に罪を着せてしまったりといったことは、明日にでも我が身に起こり得ることである。
もし冤罪ゼロを目指すなら、方法は一つしかない。犯罪を一切取り締まらないことだ。しかし、こんな馬鹿げた解決策もあるまい。
であるならば、目指すべきは冤罪ゼロではなく、推定無罪を徹底すること、冤罪に対する救済措置を充実させることではないか。
(この観点から死刑は当然ながら否定されるべきである。冤罪だった場合、死んでしまっては救済のしようがなくなるからだ)

冤罪事件に対する社会的関心が高まること、それ自体は大いに結構なことだ。
痴漢冤罪から過去の冤罪事件全般に関心が広がっていけば、さらに結構だ。
しかし、決してそうはならないだろう。
痴漢冤罪パニックは、冤罪を生み出す構造への抗議であるより、むしろ加担であるからだ。
通勤電車に揺られて未だ見ぬ牢屋の夢を見る人々の降りる場所は、何も線路の上でなくてもよかったはずだ。
人死にを出してもまだ目が覚めないのだろうか。


うおおめっちゃ懐かしい!
http://bio100.jp/play_game/superdepth.html

回答者のテンションが高すぎて笑う
https://twitter.com/tanukipaisen/status/846333664275288064
posted by u_shino at 01:30| 日記 | 更新情報をチェックする