2011年02月10日

分類不能な雑文目次

分類不能な雑文はこちら。

脳内彼女
 完全に病みきってしまえば、それは最早幸せ。

心のノート
 最近話題の「心のノート」を一部掲載。こころ、あると、いいな。

ブルマ廃止に関する緊急声明
 万国の労働者、団結せよ!

冒涜律
 カントは英語でマンコ。

日陰者
 生まれて、すみません。

インライブラリー
 マリみての新刊に因んで。

子羊たちの沈黙
 マリみてOVA第1巻あらすじ(ネタバレあり)。

ふたなりに金玉は必要なの?
 タマ姉たまんねえ。

殴るぞ
 旧日本軍の新兵器、いじめてくんに関するレポート。

一人百首
 一人で百人の指を集める。聖なる儀式アングリ。
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一人百首

冬の朝、二度寝、布団の心地よさ。ぬるぬる蠢く、めめずのごとく
雨上がり、ふりあおぎ見れば真っ青に晴れ渡る空、濡れた土の匂い
うらぶれた商店街に猫三匹。子供が笑う。笑い声が走る。
キリストの生まれ変わりのアカかぶれ。御子は来ませり、誰にも見られず
金曜日。一人残業のオフィスにて、遠く微かに聞こえるギター

夜の空、白い街灯またたいて、枯れ葉の走る音の聞こえる
鼻先にオレンジ色の火の光。じりじり焦げる、煙がゆれる
捨てられた椅子に酔漢寄りかかる。落書きだらけの高架線下
ポリバケツ。ネズミが走る、夜の道。下水に羽虫、夕餉の匂い
夢のなか、階段のぼる、13歩。遺言がわり、唾を吐き捨て

妹の目をえぐり出す悪夢から叫んで目ざめよだれをぬぐう
胎内で首吊り損ね、四半世紀。毎日ヒモで首くくる朝
パンのために、ものを言わねば腹膨る。日は昇り沈む。畑を耕す。
笑え笑え。生きる限りは笑わんと。笑い笑われ。笑わば笑え。
煙草をくわえ、火もつけぬまま、物思い。上唇にメンソールの冷やさ

吸い口の湿った煙草に火をつける。遅い煙と、舌先のヤニ
寝転んで長い思想の空しさをページ繰りつつあくびを一つ
天が呼ぶ。血が呼ぶ、君が、我を呼ぶ。「死地に赴け」そっと顔伏す
天皇の呪いのごとく横たわる、冬の棺の寒空の下
赤軍と三島、森田と狼と。呼び合い走る、テロルの尻尾(井上の膝に重信眠り居り。相呼応するテロルの系譜)

腰だめに刃をかかえ、かけぬける。長き思想の、むなしさの先
支那服の、片目をすがめ、日輪の玉座をにらむ、冬、2月、曇り。
刑場の露と消えにし革命家、土人部落の万歳を笑う
雪と血と。貴様の雄叫び誰か聞く。狼煙は上がり、見る者は無し
民族の咆吼長く、こだまして。今なお響く、亡霊のごと


笑わば笑え、泣かば泣けとてふりはらう、血もすがる手も、見えずなりゆく
阿呆船、波のまにまに、揺られつつ。くらげのごとき、我が国体よ
同胞よ、貴様の神は何処に居る。いばらの棘の先の滴に(寄せては返す波の根本に/まばゆくうねる水面の果てに/白くたなびく雲の向こうに)
横断歩道、白がちらつき緑がかる、外の光のまぶしさときたら!
ポケットの煙草の箱に触れながら、吸い場所求めうろつき回る

繁華街、アダルトビデオ屋店内の、ヤニと汗の饐えた心地よい臭い
屍をあつめて早しメコン川、唐紅に水くくるとは
ニッショウ!と朝日に叫ぶ山の影、北の村から黒竜のぼる
寒風が窓をたたく夜、鼻すすり、床にこぼれた精液を拭く
部屋の隅、綿ぼこりの中、豆一つ。腿に挟んだ手の冷たさよ

気がかりな夢から目ざめ、夕暮れの空を眺めて一服つける
夕焼けと朝焼けをふと取り違え、寝ぼけ頭にケータイを見る
花一輪、瓶にさされて風に揺れ、頷くように、首、横に振る
夕焼けを背に受け影絵のごとき街。紫がかる、もう夜が来る
次々に過ぎるライトの群れの横、石ころ蹴って、下水にゴール

風にうたれ、よれたコートの襟を寄せ。染みた煙草の微かな臭い
夜の埠頭、長靴揺れる、黒い水面。遠く魚の跳ねる音のする
愛のテーマ、口ずさみつつベランダで、一人、煙草に火をつける。月。
夜三時、ハエトリグモが壁を這う。家鳴りがする。首の筋が鳴る
軽快なオールディーズをかけながら、朝の荒野でraiderを撃つ

廃駅にて。Protectronの亡骸と散らばる工具、屑鉄と添い寝
生まれ故郷、皆が仲良く横たわる。Amataの遺骸。陽気なラジオ
沼の泡に驚き銃を乱射する。満身創痍、霧の島の上
raiderの屍を踏んで、暮れなずむ夕闇の中、Jerichoの煙草
銃背負う幼い子どもの楽園で人肉を売る。Anything Goes


電車にて。参考書繰る学生に、ふと胸が疼き微笑を隠す
予備校にも行かず一人で彷徨った、遠きあの日の街の夕暮れ
遠ざかるプラットホーム、人ごみに、見知らぬ人が一人手を振る
窓の外、流れる景色。工場と、飲み屋、高架に、ブックオフ、枯れ野
草っ原。フェンスの向こう、霜枯れて、春をただ待つ。寒空の下。

座り込んだ床の木目を指でなぞり、意味の通らぬ独り言する
雨粒は見えず匂いと濡れ光る道と音とで知る夜の雨
ゴミ袋、カラスが破り食い散らす。犬が背を曲げ電柱を嗅ぐ
昼下がり、寒さのあまり、目の覚めて。遠く電車の走る音のする
咳ひとつ。目をこすりつつ、煙草をくわえ、ベランダに出る。日差しと冷気。

ベランダの灰皿代わりに水を入れたペットボトルに吸い殻が沈む
マスクごし、両手に息をはきかける。右指先に煙草の臭い
ポケットにカイロ代わりの缶コーヒー。5分ともたず直ぐぬるくなり
100円では温もりも買えぬ時代となり。自由は時給次第で売れる
盗まれた自転車をふと思い出す、引っ越しで捨てる手間は省けた

ぐずぐずとぐずり始める空模様、足先かじかみ微かに痛み
風呂上がり、外で一服。火をつける。煙草と石けん、床屋の匂い
ベランダに1年以上寝転んで居座り続けるコガネムシの遺骸
ドアの外、蛍光灯のまたたきをうっすら聞きつつ眠りに落ちる
大声で独り言する老人の声を背中に朝の一服

空は曇り、誰とも知れぬ銅像の霧雨に濡れて冷え冷えと立つ
雨にうたれ、草の匂いの立ちのぼる。幼子の日ははや遠くなりぬ
アルカポネ、口に含んで吐き出した、濃い煙が流れ、壁を這って消える
泥のように眠る土曜日。目が覚めて、昼に背を向け再びまどろむ
立ち上がれ。新しい風。亡霊にケツをかかれた中年のあがき


「日本人」150年来の孤独の名。千代に八千代に血と地の呪い
ふりかかる、雪のかけらの二つ三つ。曇る冬の日、家路を急ぐ
横なぐり、散らばり消える薄煙。風に震える、歯の先の煙草
ポケットに手を突っ込んで、背を丸め、「寒い」の仕草でより寒くなり
高架橋。煙草くわえて見上げれば、光る水面がうつって揺れる

中指を立てて戻して、親指を上に立てかけ下向きに返す
缶ピース、慣れぬ両切り、唇でくわえ鼻歌、虹の彼方へ
何気なく口にのぼった経文の、いわく「無始より貪り、怒り」……
果ての無い、貪り、怒り、愚かさを、懺悔するべき先を我は持たず
仏も無く神も無くただ、我が有り。我も彼も無し、がらんどうの虚無

先帝の崩御、ソ連の崩壊に、うち捨てられて昭和の我らあり
君が代に怒り震える日教組。昭和は死なず、殺さぬ限りは
汚泥にこそ蓮の華咲くと人は言い。「冬来たりなば」の戯れ言の類
犯し慣れ犯され慣れた多数派は「民族」を言わず「国」をのみ言う(民族の自覚も無しに生きられる。強姦慣れした多数派の平和)
加害者が図々しくも被害者の顔をしてわめく。変わらぬ手口

人権も反権力もポーズのみ。獣の顔に人の皮を被る
権力のスパイも踊らされるアホも。傍観者も皆、同じ国の民
日の丸を掲げて親米・反アジア。八紘一宇、今いずこぞや
わりもなき怒り、松明の灯となりて連なりゆけばクリスタル・ナハト
血の染んだ旗のはためく夢を見て、永遠に朝見ぬ「夜明けは近い」

ニヒリズム、一周回ってベタになり。生まれは同じカインとアベル(左がかり一周回って右になり。永遠の嘘に絡め取られる)
喉元に突きつけられた切っ先を、物欲しそうに見る死にたがり。
冬長し。かじかむ指でくもる窓、かく一文字。けぶる街をのぞく
月のかさ見て翌日の雨を知り。ふと顔洗う猫の姿探す
コンビニ袋、風に流れて行き止まる、壁にはりつく羽虫の死骸
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2010年06月06日

殴るぞ

 これは僕の持論なのですが、子どもは殴って育てた方がいい。
 言葉だけでは伝わらないことがある。がつんと殴られて目の覚めることがある。
 殴られないまま大きくなった子どもは不幸です。そうした子どもは、上っ面でしか道徳を理解できないでしょう。
 事の善悪は元来、理屈で納得できるものではありません。「正しいから、正しい。」それが道徳の本質です。
 だから、理屈をこねまわして道徳に逆らう子どもは、殴られなければならないのです。他に説得の手だてが無いからです。
 もちろん、いくら理屈ではないとはいえ徳育などという言葉もあることですし、道徳は長い歴史の中でそれなりに体系化されてきたのですから、或る程度までは筋の通った説明を行うことが出来るかも知れません。
 あるいは範を示す、つまり自分の説く正しさを自ら生きることで、理屈を超えた説得力を獲得することができるかも知れません。
 しかし、それではあまりにハードルが高い。大人にとって負担が大きすぎます。
 ひとを言葉で説得するだけの意志・能力が欠落している。偉そうな顔して説教ばかり垂れるくせ、自分は我が儘放題生きている。
 そういった大人が珍しくない現状で、理想論を言っても仕方ありません。もっと現実に即してものを考えるべきです。
 誰にでも、どんな人にでも使えるような方法が必要とされています。シンプルで、頭を使わない方法が。
 さて、言うまでもなく、「殴る」というのは拳さえ握れれば誰にでも出来る、最も簡単で普遍性を持ったメソッドです。この「誰にでもできる」というところが肝要です。
 殴るために何かトレーニングをする必要はありません。ボクシングを習ったり、ジョギングで基礎体力を作る必要すら無いのです。
 子どもは大人に比べて、はるかに弱い存在です。いくら年を食って階段をのぼるのさえきつくなっていたとしても、大の大人が3歳児と戦って負けるなんて有り得ない話ですよね?もし相手が3歳児ではなくて、17歳だったとしても同じことです。社会的な立場の差によって、子どもからはあらかじめ抵抗する意志が奪い去られています。
 17歳が50歳を素手で殴り殺すことは、単純に体力面から考えれば、十分に可能なことには違いありません。しかしご安心あれ!そんなことは滅多に起こりません。統計的に見て、現在の50歳が17歳だった頃に比べれば、少年犯罪は確実に減少傾向にあります。電車内の暴力事件なんかも、犯人の多くは中高年です。現在の中高年の方が、少年に比べてずっと凶悪でキレやすいのです。子どもなんかにびびることはありません。殴って分からせてやればいい。
 大人は子どもを殴り続けてきました。気の遠くなるほど昔から、ずっと。これを負の歴史と捉えるべきではありません。それだけ続いてきたことなのだから、何かしら意味のあることだと考える方が適当でしょう。伝統とか保守とかいう言葉を思い起こしてください。あるいは人類がサルだった頃から延々と続いてきた、嬰児殺しやレイプをイメージしてください。気分良くなりましたか?
 どうしてこれほど続いてきたのか?それは人々にとって何らかの、望ましい効果をもたらすからです。
 まず殴る主体のことを考えてみましょう。子どもに手を上げる側は、別に子どものために子どもを殴る訳ではありません。ムカついたから反射的に殴るだけです。反撃される気づかいの無い相手に、感情のおもむくままに暴力をふるうことは、大きなカタルシスをもたらします。より高度な方法として、自分は殴りたくて殴っている訳ではない、子どものために殴っているんだというような欺瞞で己を欺き、ナルシズムと暴力衝動の両方を満足させるケースもあります。また、立場の弱い相手に対する攻撃は、自分の優位をお手軽に確認できる手段としても有効であることが、広く知られています。相手が決して抵抗できないこと、あるいは態度を従順なものへ変化させていくこと。攻撃を通じて自尊感情は確実に、満たされ回復されてゆきます。いじめからDV、ヘイトクライムまで、社会のあらゆる水準で行われている同種の攻撃行動を見れば、暴力の本来持っているセラピー的な効能をご理解いただけることでしょう。
 次に殴られる子どもについて考えてみましょう。彼らは殴られ体験を通じて、主に3つのことを学ぶでしょう。すなわち、

@自分さえよければいい
 当然ですが、殴られるのは痛い。痛いのは誰だって嫌ですから、どうにかして回避しようとします。
 回避するための戦略は、子どもによって様々なバリエーションを見せます。
 「悪いこと」をするときは隠れてやる、バレたらウソをついたりしらばっくれたり、告げ口をして自分だけ助かるなど、あらゆる手段を講じて殴られることを回避する。あるいはどうしても罰を逃れられないなら、せめての意趣返しに、開き直ったり悪態をつくなどして、殴る側に最大限の不快感を与えるようとする。
 全てに共通するのは、子どもが善悪を全く内面化しないことです。
 ここでは善悪は外部から押しつけられる理不尽な暴力とイコールです。いかに上手く立ち回るかに主眼が置かれ、自分の利益を守ることが最優先されるため、自分のしたことを内省する余裕は生まれません。利己的で過酷な人間観が育まれることでしょう。すなわち殴られ体験を通じて、弱肉強食の社会を生き抜くための心構えがもたらされます。

A暴力は気分が良いし役に立つ
 一方的に殴られ続ける状況は、不公平感を生みます。
 つまり、どうして自分ばかり殴られっぱなしで我慢していなければならないのか?ということです。
 しかし反撃しようにも、自分は大人と戦うだけの力を持ち合わせていない。ならば、誰か別の人間を殴るしかない。
 かくして、自分より弱い者への攻撃が始まります。
 攻撃を繰り返すうち、彼らは大切なことに気づきます。
 暴力は自らを癒してくれること。暴力があれば、面倒な説得を行わなくても、手っ取り早く誰かを従わせられること。
 そうです。これらは大人が暴力をふるう理由と同じものです。
 こうして大人と子どもは分かり合い、言葉を超えた大切なものが、世代を超えて受け継がれていくことになります。

B殴ることは悪くない
 殴ることは決して、善悪を内面化しないことを、先ほど述べました。
 一方で、内面化されるものもあります。それは、殴る側の悪意です。
 自分に向けられた悪意を内面化した子どもは、自分は痛めつけられるのが当然のクズだと思いこむことになるでしょう。言うまでもないことですが、人間はみな何の価値もないクズです。子どもはこうして真実に目覚めます。
 ただし、愛されていないから、言葉によって説得するような手間をかける価値も無いとみなされたからこそ殴られたという事実、それを認めることは大きな心理的負担をもたらします。そこで別の解釈が用いられることも少なくありません。
 愛のムチという言葉を思い出してください。愛されることと殴られることの間を埋めるための言葉。自分は愛ゆえに殴られたのだと、従って体罰は正しいと、つまり「愛されているから殴られた」といった形で、殴られ体験をよりマイルドに解釈する訳です。
 この場合、限定的な形で、つまり善意をもって殴ることは悪くない、との信念が形作られることでしょう。いずれにせよ殴るなら同じことですが。
 また、この正しさは、同様の信念を抱く大人達、或いは大人達の構成する社会によって保証されています。体罰は決して珍しいものではないし、これを正しいとみなす人間はまだまだ多数派を占めているのが現状です。
 子どもが成長していく過程で、大人はロールモデルとしての役割を担っています。大人は子どもを殴る。そして、そのことは社会的に承認されている。体罰をおおっぴらに奨励する政治家すらいます。このことは、子ども達の中に、殴ることは悪くないという信念を、しっかりと根づかせてくれることでしょう。
 暴力による解決こそが王道である。正しさに基づく暴力は容認される。これはこの世を動かすルールです。私達は日々のニュースによって、世界が暴力によって支配されていること、正しさと暴力の共犯関係を目にしているはずです。

 こうして見てくると、殴って育てるということが、大人と子どもの間に様々な恩恵をもたらしていることがわかるでしょう。
 殴られずに育った子どもは、総じてロクデナシです。今の子どもを見てみなさい。青白いモヤシっ子、ナヨナヨしたのしかおらん。男らしさのかけらもない。女は殴られずに育つ。まあ、それはいいでしょう。しょせん、女が天下国家を動かすことはないのだから。しかし男までが女と同じように、殴られずに育つならば。我が国は金玉を抜かれた去勢国家になってしまう。それでいいのか。いい訳がない。
 誤った戦後教育、アカの手先どもの謀略によって、体罰が全国的に禁じられていった過程で、少年犯罪が増えたのか、減ったのか。それを見れば、体罰の効能は明らかになるのではないでしょうか。
 時代錯誤と言われようと、我々は今こそ、高らかに体罰の復活を叫ばねばなりません。
 カミナリ親父のいない国に、未来はありません。これは父権の復活、そして国家の復活であります。
 話し合い等という生温い手段で何が変わりますか。人間は、つまるところが暴力だ。やられっぱなし、殴られっぱなしでは、正義を語ることもできんのだ。国と国との間でも、同じ事が言えます。話し合い、土下座外交で我が国の国際的地位は地に落ちた。なめられっぱなしだ。今や、我々の犯した過ちを認めるときが来た。戦後民主主義という過ちを。
 体罰を認める人間は皆、男根主義者だ。男根主義者は頭で物を考えることをしない。そんなチマチマした真似はしないのだ。理性によらず、感情でのみ物を言う。本来、それが人間の自然な在り方ではないのか。何とかイズムだの、何とか思想だの、そんなものは要らん。魂で物を言え。お偉い学者先生がたの屁理屈にはウンザリだ。それで何が変わる?世の中を動かすのはいつも、物を考えない大衆の、真っ直ぐな感情でしか有り得ない。我々は在野の精神で、大衆の意見を代弁する。我々は、口舌の徒を信用しない。
 我々の根拠は、論理的な根拠などでは決してない。我々が直感的に感じない限りは真実ではない。自然な感情というものがある。理性だの何だの言う前に、我々はヒトという動物であり、動物である以上は自然の感情に従わねばならん。
 子どもは弱いのだから、殴られて当然だ。馬鹿だから、殴って導いてやらねばならん。これは自然な感情ではないですか。その代わり、我々には父性本能というものがある。獅子は千尋の谷に子を突き落とす。殺さんがためではない、育てるためだ。殴って育てて、より強い子孫を残し、自らの所属する群れを、つまりは国家をより盤石なものにするのです。これは本能です。
 やがて子ども達は我々に感謝するだろう。新兵とタタミは叩くほど良くなるという言葉があります。この拳は子ども達の未来を、つまりはこの国の未来を担っているのです。
 体罰を通じて、我々は国家を再建する。拳を以て、この国の腑抜けた根性をたたき直してやりましょう。
 なあに、簡単なことだ。世直しといったって、政治家を暗殺しろって訳じゃない。子どもを殴れというだけのことだ。赤子の手をひねるより簡単でしょう。
 子どもを殴るだけで国士様が気取れるのだ。安いものではありませんか。諸君。

posted by u_shino at 01:44| 分類不能な雑文 | 更新情報をチェックする

ふたなりに金玉は必要なの?

ふたなりに金玉は必要なの?――小学生のための金玉議論ハンドブック(厚生労働省, 2008)

 世の中には2つのふたなりポルノがある。玉有りと、玉無し。
 ふたなりに金玉は必要か?ペニスは必要に違いない、しかし金玉は?
 ペニスバンドにも金玉がついているものがある、ではふたなりの、血の通ったペニスに血の通った金玉は必要か?
 古今東西、諸学派が議論に議論を重ね、それでも未だに答えは出ていない。
 さて、今回私が作成したのは、従来の金玉議論を大雑把にまとめた樹形図である。
 分類には異論があるかも知れない。立場によって金玉議論の分類も異なる。例えば或る主流の学派は、「男根共鳴的金玉肯定派」「奇形愛好的金玉否定派」「代償同性愛的金玉肯定派」といったように、背後にある性的・精神病理的な傾向を元に分類を行う。また別のより過激な学派によれば、ふたなりポルノは反体制的な宣伝媒体としての金玉肯定派と、体制迎合的な男根主義的ポルノとしての金玉否定派に大別される。
 しかしながら、これら諸学派の対立する分類を、一つの樹形図の中に取り込むことは不可能である。また、本パンフレットは政府の刊行物であるからして、特定の学派・主義に基づいた分類を行うことは政治的に不適切である。そこで私は苦肉の策として、「金玉の有無に拘るか否か・拘るとすれば肯定か否定か」という、外部から観察可能な手がかりのみによって分類を試みた。あまりに表面的で、本質に迫ることのない分類と思われるかも知れないが、そもそもが研究ではなく紹介を目的とした分類ということで、ご容赦いただきたい。
 初学者の理解を助けると共に、議論の発展に少しでも貢献できれば幸いである。


1.玉無し派

 1-1金玉なんか無いよ派(存在否定派)

  1-1-1.フタナリは女だから金玉なんかないよ派(定義派)

   1-1-1-1.でかいクリトリスだよ派(世界一巨大な性感帯を持つ少女派)

 1-2.金玉は体内に収納されているよ派(折衷派)

  1-2-1.体温のせいで種無しになってるから受精能力はないよ派(中出し推奨派)

  1-2-2.卵巣と精巣を併せ持つので一人で子どもが作れるよ派(自家受精派)

 1-3.魔法の力で空中から精液が現れるから金玉は必要ないよ派(神秘主義、サティヤ・サイバ派)

 1-4.金玉の必然性がないよ派(理論派)

  1-4-1.ファンタジーだから金玉がなくても射精できるよ派(メタ派)

   1-4-1-1.金玉があるとマンコが描きづらいよ派(キンマンコ派)

   1-4-1-2.ペニスバンドに管を通して偽物の精液を出してるだけだから金玉なんか必要ないよ派(AV派、台無し派)

  1-5.金玉なんか見たくないよ派(情緒派)

  1-5-1.金玉があると男みたいで萎えるよ派(連想派)

   1-5-1-1.金玉なんか俺が切り落としてやるよ派(ポルポト派)

 1-6.金玉はみんなの心の中にあるよ派(トゥルーエンディング派)

 1-7.金玉の存在を主張する奴は男根主義的ファシストな公安の手先だよ派(中カク派)


2.玉有り派

 2-1.金玉がなければ射精できないよ派(根本主義派)

 2-2.玉がついているのは女の罪、それを許さないのは男の罪だよ派(ハードボイルド派)

 2-3.金玉があった方が下品でそそられるよ派(印象派)

 2-4.忘れないで(金玉を)見つめることを派(リルラリル派)

  2-4-1.ところで俺の金玉を見てくれよ派(ヤマジュニズム)

  2-4-2.竿より玉の方が重要だよ派(コーガニズム宣言派)

 2-5.金玉の存在を否定する奴は情報操作をもくろむ公安の手先だよ派(カク丸派)


3.中道派

 3-1.金玉議論のセクト主義を超えてフタナリという大枠で連帯すべきだよ派(黒ヘル)

 3-2.チンコが生えてればそれでいいよ派(快楽主義派)

  3-2-1.おちんぽみるくでちゃうよ派(みさくら派)

  3-2-2.玉なんかどうでもいいから熟女か筋肉を出せよ派(ぐら乳党)

  3-2-3.チンコが何本も生えていたら玉なんかどうでもよくなるよ派(前衛派、Rebis派)

  3-2-4.むしろ可愛くて穴さえあれば男でもいいよ派(ショタ派、女装子派)

   3-2-4-1.最初から肛門にしか興味がないよ派(アナルジャスティス派)

 3-3.金玉の有無にこだわる人は心理的に問題を抱えているよ派(心理主義派)

  3-3-1.金玉に対する神経症的なこだわりは幼少期の去勢不安に原因があるよ派(フロイト派)

  3-3-2.金玉の有無と性的興奮の結びつきは偏ったオナニー体験の中で学習されたものだよ派(行動主義派)

  3-3-3.より幅広いオナニーを求める自己実現傾向によって金玉へのこだわりが克服されうるよ派(ロジャース派)

  3-3-4.金玉への執着を無理に無くそうとするのではなくあるがままに受け入れることが大事だよ派(森田療法)

 3-4.パンツを脱ぐまで確定しないよ派(シュレディンガーの猫派)
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子羊たちの沈黙

チャオ、ソレッラ。ディスイズレクター。

ホラーが出るたび震撼する全米が、またもや震撼した!
歴史あるお嬢様学校を舞台に、少女たちの狂気が錯綜する、恐ろしくも妖しい世界……マリア様がみてるシリーズ、待望のアニメ化第三弾。

東京都武蔵野市近郊で、女性ばかりを狙った連続殺人が発生。
遺体の髪型が全て縦ロールにされていたことから、犯人は「バッファロー・ドリル」と呼ばれることになった。
みんなの平和を守るため捜査に乗り出す山百合会だったが、派閥による内部分裂が原因で捜査は難航。
志摩子は死体のパンツを脱がせたりエロいことばかりしていて仕事にならず。
乃梨子は火葬ごっこがしたくて焼却炉に死体を放り込んだら焼却炉が壊れて指導室に呼び出され。
由乃は「変な髪型の死体なんかバクテリアも食わないのよ」などと訳の分からないことを言っては仕事をサボり。
令はそんな由乃の肩を揉んだり肩を揉むふりをして違うところを触ろうとして血だるまにされるのに忙しかったり。
福沢祐巳は子分肌のせいで捜査を丸投げされ、取りあえずその辺で聞き込みなどしてみるが一向に成果は上がらず。上司である祥子に罵られ、マゾヒストとしての喜びに浸る毎日であった。
祥子も満更ではなかったが、事件を解決しなければお話にならないので、「ドキッ!女だらけのドリル事件捜査本部@軽井沢 ポロリもあるヨ」を発案する。
みなダルがって行こうとしないので結局祥子と祐巳だけで行くことになり、「私は祐巳がいれば」「私だってお姉さまがいれば」などと完全に主旨が捜査から一夏の思い出作りにすり替わってしまったが、2人とも脳みそが溶けているので気にしないのだった。
そしていよいよ約束の当日、2人の夏の始まりである。
駅前で待ち合わせ、「車が来るまで」などとクソ下らないオヤジギャグをかまされたり、ソフトクリームをいやらしく舐めるよう要求されたり、出だしからかなりHPを削られながらも、何とか無事に別荘に辿り着く祐巳。
そこで待ちかまえていたのは母親から送られた米俵だった。
これが管理人夫妻の失笑を買い、激怒した祥子は祐巳を庭に放置プレイ。大声で「おこめ券」を百回言い終わるまで中に入れるなと管理人夫妻に命じ、自分は夕飯まで眠ると言い捨て部屋に戻ってしまう。
祥子的には、こっそり聞き耳を立てて百回言い終わると同時に出て行って祐巳を抱きしめるというアメとムチ作戦だったのだが、羊を数える要領で「おこめ券」を数えていたためついつい本当に寝てしまい、気まずかったので夕飯の後はゲームなどしてお茶を濁す。
翌日からもそんな調子で、祐巳が祥子の着替えを覗いたり、それがバレて全裸で朝食を取らされたりと、いつもと変わらず楽しい日々を送っていた紅薔薇姉妹。
それがある日を境にきしみ出す。
いつも通り祐巳をいびっていた祥子の元に、3人のお嬢様+ドリルが突然の来訪。
彼女たちは祥子の昔なじみで、祥子は彼女たちの仰々しい名字を正確に覚えられた試しがなかったのだが、いつも彼女たちが一方的に喋りまくるだけで祥子は相づちさえしていればよかったので、特に問題はないのだった。
例によって祥子相手に紅茶がどうの習い事がどうのとブルジョワトークを展開させる3人娘と、その横でドリルに油を差すドリル。
所詮はプチブルに過ぎない祐巳は会話に入れず、祥子を取られたような気分になって凹んでいたが、祥子が会話の折々で自分に向ける視線に気づき、瞬時に「これは放置プレイなのだ」と悟って、沈んだ気持ちは一転。幸せに満たされる。
そんな風に目と目で会話する2人を、しかし、見逃すような3人ではない。
こいつこそが祥子の弱点だ、彼女たちは気づいてしまった。
どちらかと言えば3人の同類なドリルは、いちはやくそんな悪意に気づき、祐巳に警告するが「瞳子ちゃんがあと3人かあ……クローンみたいだね。あ、ドリルとドリーって似てない?」などというアホ丸出しの受け答えに助ける気を無くし、唾を吐いて立ち去る。
一方で、さっそく小笠原を貶めるべく策謀を巡らせ始める3人娘。
下準備として京極が動いた。
母が病気でさあ大変と祥子を呼び出しておいて、当の本人は病気どころかバーベキューパーティーで肉をバカ食い、ギャンブルで負けた手下を焼けた鉄板の上で土下座させるほど元気という肩すかし。
その上、聞こえよがしに祐巳をけなし、祥子が激怒のあまりタウンページを引き裂くのを見て、祐巳が弱点であることを再確認。完全に祐巳はロックオンされた。
頭に血が上ったまま戻った祥子は、祐巳についつい当たり散らし、半殺しにしてしまうが、血反吐を吐きながらも、なお忠誠を誓う祐巳に心打たれ、もう逃げないと決める。
そして届いた一枚の葉書。
「ぱんてぃーしますから、おいでんなさい。とびどぐもたないでください」
それは、紅薔薇姉妹をはめるための罠にしか見えなかった。
そんな折、ちょうど黄と白が冷やかしにやってくる。
黄薔薇はドツキ漫才を披露し、白薔薇は普通にのろけ、当然というか誰も捜査のことを言い出さない。別に空気を読んだ訳ではなく、みんな素で忘れているのである。
雑談するうち、葉書の話になり、黄も白も待て待てこれは孔明の罠だから一緒に帰ろうと促すが、祥子は我が儘なので聞かない。
黄と白は帰り、取り残された紅薔薇は急に不安になって、ひたすら「逃げちゃダメだ」を繰り返すのだった。
そしていよいよパーティー当日。
会場に着くと、高そうな服と良く分からない食べ物とデブと中年がてんこ盛りで、祐巳は早くも帰りたくなる。
さすがに祥子はブルジョワなので慣れたもの、あっという間に空間に溶け込んでいなくなってしまい、祐巳が仕方なく端っこで壁と同化していると、ドリルが近づいて一言、「マゾなんじゃない」。
「そうだよ」正直に答える祐巳に、ドリルは変な顔をすると立ち去っていく。
何がしたかったんだろう、と訝しんでいると、今度はホモが近づいて「度胸あるなあ」。
「男は度胸、何でも試してみるものさ」軽く切り返す祐巳、そこへ祥子がやってきて、神無月的な三角関係を成立させていると突然。
「お婆さまの誕生日が云々」
アナウンスが入り、聞かされてなかったので焦る紅薔薇姉妹。
車いすに乗って、不機嫌そうな顔をしたお婆さんが登場して、皆がもぞもぞ動き始め、再びアナウンス。
「それでは、戦後最強のやり手ババア、ブルセラの女王と恐れられたこのお方に、パンティーの贈呈です!」
皆が手にパンツを持って、お婆さんの前に並び始め、そこではじめて紅薔薇姉妹は、自分たちが何に巻き込まれたのかを悟る。
「……やってくれた喃」歯ぎしりする祥子。
しかもいつの間にか列の前の方にいて、すぐに自分たちの順番が回ってきそうな勢いである。
真後ろに並んでいる3人娘、やはり罠だったのだ。
彼女たちはシルクやレースのパンツを振り回しながら祐巳もパンツを脱ぐよう強制、どうせろくなものじゃないという表情が見え見えで、頭に血が上った祥子が彼女たちのパンツを細切れにしてやろうと前に進み出たその瞬間。
祐巳は祥子の手を取って、「私たちの番ですよ」とお婆さんの前に引っ張り出した。
何をするつもりなのか、息をのむ祥子の前で、いきなりスカートを脱ぐ祐巳、その下は果たして何も履いていなかった。
「パンティーの用意は御座いません。代わりにパフォーマンスを」
祐巳は髪に挿していた百合の花を祥子に手渡し、一言耳打ちをした。
瞬ためらったものの、祐巳の決意の固さを知り、うなずくと懐から縄を取り出してかかげる祥子。
次の瞬間。祥子は祐巳を突き飛ばし、目にも止まらぬ速さで縛り上げ、最後に百合の花を尻穴に差し込むと、「この美しい花瓶に値段をつけろ」と言い放った。
呆気にとられるギャラリー。沈黙と時折漏れる失笑に、失敗したかと俯く紅薔薇。
その時、お婆さんが突然拍手を始めた。ギャラリーは慌てて追随する。
「ありがとう、あんた達だけだ、分かってるのは」
お婆さんは祐巳の手を握り、涙した。曰く、もうブルセラなど流行る時代でもないのに、誕生日が来るたびにパンティーの山、売れもしないゴミを押しつけられるのにウンザリしていたのだと。そしてこの場の空気に飲まれず堂々とSMショーをやってのけたお前たちこそ、セックス産業の未来を背負って立つ逸材だと、お婆さんは賞賛した。
そんなものを背負わされては叶わないので、猛ダッシュで会場を出る紅薔薇姉妹。
「また来てくれるかい」遠くから聞こえるお婆さんの声に、「だが断る!」全力で答えて紅薔薇姉妹はただ走った。
そうして這々の体で別荘に辿り着くと、2人はその場にへたり込み、大きくため息をつく、戦いは終わったのだ。
自分たちは負けていなかった、そうコメントする祐巳。すると、祥子はいきなり下を向いて笑い出した。
憮然とする祐巳に、祥子はこう言った。
「私ね、てっきりあなたが全裸で安来節を踊るのかと」
一瞬沈黙が流れ、それから2人で大爆笑する。それではストリップだ。ブルセラより前時代的ではないか。
こうして波乱の避暑は終わり、紅薔薇姉妹はまた一つ、絆を深めたのであった。
なお、バッファロー・ドリルに関しては、怪しそうな人物を片っ端から殺したり拷問したりしてる内に殺人がピタリと止んだので、おそらくどこかで真犯人を仕留めたものとして、捜査本部は終了した。
何故あからさまに怪しいドリルがやられなかったのか、子羊たちは今も沈黙を守ったままである。

posted by u_shino at 01:26| 分類不能な雑文 | 更新情報をチェックする